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持丸 タミ子さん
色鮮やかな生菓子を次々生み出す、心楽しき和菓子職人

―ご入社当時のことを教えてください。

私は1984年(昭和59年)に入社しました。

当時は、清水町商店街にある隆勝堂の裏に工場があって、そこで働いていたんです。上には寮があって、住み込みで働いている夜間学校生や中学校を卒業したばかりの方もいましたよ。

商店街沿いにお店があって、その裏が工場。ご家族と製造で全部で15人前後だったかな。工場は、店舗との間にわずかばかりの収納と、和菓子とケーキを作るところ。3畳ほどの事務所、小さな工場でした。床もでこぼこでしたしね!

その年の3月に筑後店がオープンしたばかりで、とても忙しかったです。配属されてすぐは、筑後店への配達で行ったり来たりしていました。

ここで働くようになったのは、出身の八女に戻ってきたからです。

それまでは私は富山のアパレルメーカーで働いていました。当時のデザイナーズブランドの走りだったんですよ。お洒落することが好きでした。

当時から、隆勝堂と言えば、八女福島の有名店です。すぐ近くの土橋商店街は生活の中心で活気あふれる大都会。まさかそこで働くことになるなんて思いもしなかったです。

―当時よく作っていたお菓子は何でしたか?

『蹴洞』をたっくさん!それから『花のおしゃべり』も作っていましたよ。長いテーブルでパイ生地を折りたたんでは、ローラーでよく伸ばしてまた折りたたんで。切って餡を絞って表面に卵を塗って。表面につける切れ目は3か所。今と変わらないでしょう?

2代目の隆さんとは、主に蹴洞の仕上げをしていました。白い和紙で包まれた温かい『蹴洞』を、二人で何個も何個も箱に詰めて。

隣では、弟の勝さんが、出来立ての『丸ぼうろ』を木の網の上で冷ましては木箱に入れて。

そうそう、大きなカステラ窯もありました!

ほんと、やっていることは、今も何も変わらないわね!変わらないってすごいことですよね。

―工場の雰囲気や人…印象的だったことはありますか?

おばあちゃん(2代目隆の母)はお優しい人。

真っ白の割烹着をきて、髪の毛をきゅっときれいに結って、毎日出勤されていました。

穏やかでかわいらしくて。ご自宅まで手を引いてお送りしたこともあるわよ。

隆さんは冗談を言ったりわっはっはと笑って楽しくて、勝さんは寡黙で穏やかな人。たった1時間ほどの残業でも、毎回おにぎりやおうどんを奥様に仰って用意くださったりね。とても温かい職場でした。

長く働いているから社員旅行で色んなところにいきましたよ。温泉だったりハワイだったり…忘年会や新年会も。

ほら、みんなとの想い出の写真は山ほどあります。この地域でそんな会社なかなか無かったんじゃないかしら。

勤続表彰では、3泊4日で香港マカオの旅も頂きました。いい時代だったわ。

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―それからの持丸さんのことを教えてください。

上生菓子が飛ぶように売れた時代。たくさんたくさん生菓子を作りました。結納や季節の上生菓子を、もうどれだけ作ったことか。

昔の引き出物の定番は、上生菓子だったんです。大きな立派な伊勢海老の形のお菓子。

結婚式っていったら、子供たちはご家族が持って帰ってきた引き出物を空けるのが楽しみでね。みんなで切り分けて食べたものです。

おやきやおはぎも作りました。

真夏のどんなに暑い日でも鉄板の前に立って。本当に大変なんです。でもできたおやきは本当に美味しかった。また復活してほしいなあと思います。

おはぎも、定番のつぶあん、こしあん、きなこに、すり黒ゴマあん、のり、えんどう餡とたくさん作りました。どれが売れるかねえ?ってみんなで色んなパターンで考えて。

そうそう、思い出すのはみたらし団子!

「だんご3兄弟」が流行った時期は、来る日も来る日もみたらし団子を作りました。

まあよく売れたこと!頭の中ではずっと『だんご、だんご♪』って、ずっと歌が流れていたくらいです!

上生菓子は本当に繊細なお菓子なんです。

「どうしたらそんなにきれいに早く作れるんですか?」ってよく聞かれたけど、それは経験なので…

鯉の色付けだったら自分が作りたい色合いになるまでよーくよーく吟味する。

ぽっぽっぽっと優しく色付けして、次の工程に移るまで焦らずちゃんと待つんです。乾いてないときにツヤを塗ると折角完成した色が流れてしまうから。全部経験が生むものです。

私は、結納のお菓子の注文を受けたとしたら、結納のその現場を想像して作っていました。どんな風にこのお菓子が出てくるのかな。どんな風に喜んでもらえるかなって。

お祝いの鶴に仏事の白椿、菊にすり流しの羊羹も、もちろん全部手作りで。お祝いだったら求肥の餅に包んで白椿とかね。お祝いも仏事も綺麗な貼り箱に入れて、美しく。

お客様にお伝えてほしい点は、メモにして箱にはって販売員さんに渡していましたね。それをとても喜んでくれて私もうれしかったわ。

私は自然豊かな山の中で育ちました。子供のころから、学校帰りには毎日花を摘んで帰るくらい花と自然が大好き。美しいものが大好きなんです。

もちろん仕事は厳しい。とても厳しい。どんな仕事も真剣で厳しいもの。

でも、大好きなことならばがんばれる。一番大切なことは、好きっていう気持ちだと思うわよ。

隆勝堂からはお給料を頂いたけど、それ以上に和菓子作る意味、正解というものを教えてもらいました。

とても感謝しています。